志村けんさんといえば、かつて超人気グループだったドリフターズのメンバーで、現在も数々の人気番気味で司会やコントを披露してくれています!
私もそんな志村けんさんの大ファンの一人なんですが、何だか昔と比べると歳をとったなぁって見てて思うんですよね。
素敵な年のとり方をしていますし、今の志村さんも魅力的なんですが!
そこで気になったのが若い頃の志村けんさんってどんな感じだったんだろう…ということです!
今回は志村けんさんの若い頃から現在までの写真画像を時系列でまとめてみました!
志村けんの若い頃・付き人時代
志村けんさんは1968年に高校を卒業する間際に、いかりや長介さんの自宅に押しかけて弟子入りを志願。
門前払いされても食い下がらず、その根性を買われてドリフターズの付き人となりました。
その頃の写真がこちら!
この時加藤茶さんの付き人となったのですが、なんと1年余で脱走w
その後再び加藤茶さんに頼み込み口利きをしてもらって付き人に戻ります。
1972年には「マックボンボン」というお笑いコンビを井上順さんと結成し芸能界デビュー。
「ぎんぎら!ボンボン!」という冠番組も持ちましたが、わずか3ヶ月で人気がなく番組打ち切りに…
すると相方の井上順さんは失踪。
また志村けんさんは付き人に戻ったのでした。
志村けんの若い頃・ドリフターズメンバーに加入
1974年4月1日から、正式なドリフターズのメンバーとなった志村けんさん。
当時は24歳でした。
ドリフメンバーとなった志村けんさんでしたが、2年間はギャグが受けずスランプの時期だったといいます。
転機となったのは、「8時だよ!全員集合」の「少年少女合唱隊」のコーナーで「東村山音頭」をを歌ったことがきっかけとなり一気にブレイクしました!
同時期にヒゲダンスもブレイクしましたね!
この頃のネタは、今の若い人でも知っている方が多いのではないでしょうか。
このヒゲダンス、もともとアメリカの黒人音楽、ソウルミュージックのファンだった志村けんさんがテディペンターグラスの曲をサンプリングして曲を作ったそうです。
志村けんの若い頃・カトちゃんケンちゃんが大人気!
1985年に「8時だよ!全員集合」が終了し、翌年の1986年から「かとちゃんけんちゃんカトちゃんケンちゃんごきげんテレビ」がスタートしました。
ここでは加藤茶さんがボケ、志村けんさんがツッコミで、二人の独自のコントがブレイクし話題となりました。
「バカ殿」「変なおじさん」の誕生
1986年には志村けんさん単独の番組も放送されました。
「志村けんのだいじょうぶだぁ」では、現在も続いている「バカ殿」や「変なおじさん」が大ヒット。
ここでの番組では、ダチョウ倶楽部や研ナオコ、優香等様々な芸人や女優との絡みが面白かったですよね!
まとめ
志村けんさんの若い頃を写真と一緒にまとめてきました。
芸能界デビューは付き人から始まり、割と大変な思いをして行ってきた志村けんさん。
ドリフターズのメンバーになり、2年間もスランプに陥っていたなんて以外でしたね。
しかし底から這い上がり、現在の大物の座についた志村けんさんはさすがだと思います!
今後もたくさんの場で活躍し、笑わせてほしいですね!!
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