なずなの父親はなぜガラス玉を持って亡くなったの?ちょっと怖い理由とは【打ち上げ花火下から見るか横から見るか】

新海誠監督の話題作「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」

豪華なキャストでも話題となりましたが、その内容に関しては疑問の声を投げかける方も多くいらっしゃいます。

その中でもしもの世界に移動させてくれるガラス玉の存在と、それを持っていたなずなの父親への疑問の声も。

なぜなずなの父親はガラス玉を持って亡くなったのか、またそもそもなぜなずなの父親はガラス玉を所持していたのか…

その疑問についてまとめてみました。

目次

なずなの父親がガラス玉を持って亡くなっていた理由は?

なずなの父親がガラス玉を持って亡くなっていた理由については2つの考察があります。

1つ目は、妻(なずなの母親)の気持ちが離れていくことを食い止めようとしたものの叶わず、命を絶ったというものです。

なずなの父親は母親の気持ちが自分から離れていくことを、何度もガラス玉を使用して食い止めようとしていたのではないか。

しかし結局気持ちを変える事はできませんでした。

その結果命を絶ったのではないかという考察です。

二つ目はなずなの父親もタイムリープを何度か行っており、その回数を何度も重ねた事でガラス玉の使用制限を超えて死んでしまったという推測です。

ガラス玉には使える数が決まっている、もしくは使う毎に使用者に何かしらの負担がかかるのではという考察があります。

典道も回を重ねる毎に、目に生気がなくなっていっている事が理由としてあげられます。

どちらも推測ではありますが、なんだか少しこわいですよね…

ガラス玉を父親が持ってい理由は?

映画ストーリーの構造は「世代が替わり、繰り返す」というものです。

設定上なずなの父親が持っているものを娘のなずなが引き継ぐというという所で、世代が変わり引き継がれていくという事を表現したのかもしれません。

という事はなずなの父親もまた、ガラス玉を自身の両親のどちらから引き継いだのかもしれませんね。

上でも書いたとおり、なずなの父親は恋愛に奔放な母親との駆け落ちに玉の力を使ったのだと推測できます。

しかし、現実には「ifもしも」の世界を作り出す事は出来ないので、死という悲しい結末を迎えることに…

そして父親もそうだったように、子供たちの世代でもハッピーエンドとは言えない結末を迎える事に。

もしくはなずな達は引っ越してしまっても、結ばれたのかもしれませんが…

そもそもガラスってなんなの?

ガラス玉は「もしも」世界に飛ぶことのできる、不思議な力を持ったものです。

この玉は投げることで時間が巻き戻っているように見えますが厳密にいうと、時間が戻っているわけではなくて、典道の想像した「もしも」の世界に飛んでいるのです。

「時をかける少女」では主人公のクルミはタイムリープしますが、それとは異なるものなんですね。

最終的にはガラス玉は花火師のおじさんが打ち上げてこわれてしまい、壊れたことで典道の「もしも」の世界が消え、二人は現実に戻ります。

ガラス玉が壊れるのと同時に、典道のもしもの世界がガラスの破片のようになって壊れていく描写が写されていますよね。

つこういった経緯を含めてみてみると、やはりガラス玉は「もしも」世界に飛ぶことのできるものだったということですね。

まとめ

「打ち上げ花火下から見るか?横から見るか?」のガラス玉と父親の関係についてまとめました。

父親はガラス玉の力を使ってタイムリープして母親との恋を実らせようとしていたようです。

しかしそれが上手くいかなかったのか、もしくはガラス玉を使いすぎた事で死んでしまいました。

不思議なガラス玉の能力は、もしもの世界へ飛ぶというものですが、なんだかその能力は怖いもののように感じますよね。

結末もそうですが、こういった謎めいた部分があるのが、本作品の魅力の一つですね!

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