【実話】破天荒フェニックスのあらすじをネタバレ!オンデーズ買収から復活までのストーリーがすごい(日本編)

メガネの会社「オンデーズ」の社長・
田中修治さんの本「破天荒フェニックス」

実際に田中修治さんが
経験してきたことをまとめた本で、
壮絶な会社の再建記が書かれています!

2020年1月3日からは
「破天荒フェニックス」の
ドラマ化も決定し、話題となっていますね!

今回はそんな「破天荒フェニックス」の
原作のあらすじをまとめてみました。

ネタバレも含まれているので、
ご注意くださいね!!

目次

社長・田中修治のオンデーズ買収

主人公の「田中修治」は、
もともとデザイン企画に関する
小さな会社を経営していました。

そんな田中が低価格メガネのチェーン店
「オンデーズ」の買収を決意したのは、
オンデーズの身売り案件に
関わった事がきっかけ
でした。

当初はオンデーズ売却の
仲介に入るだけの予定だったのですが、
そこで自分なりに再生計画を考える中で
「自分ならオンデーズを再生できるのではないか」
と考え始めた田中さん。

会社の資金繰りは大変な状況ながら、
現場は活気もあり、いきいきと
働いているスタッフも多い。

十分再生できるのではと田中さんは
考えたのでした。

しかしこの田中さんの考えに
反対したのが奥野良孝さん。

奥野さんはメガバンクに就職後、
大手の再生ファンドを経て、
投資コンサルティングの
小さなベンチャー企業に転職した人物。

当時のオンデーズは、
20億の売上しかないのに
14億の負債を抱えている。

この状況を、財務の専門家として
数々の企業再生案件に関わってきた
奥野さんが見立てるに、
オンデーズを買うという決断が
無謀に映ったのです。

それでも田中さんの決意は変わらず、
結局オンデーズを3000万で買収。

結局奥野さんも巻き込んで
オンデーズ再生に着手することに…

しかし結果として田中さんたちはすぐに
「毎年20億の価値を創り出す会社」が、
わずか3000万で売られていた理由を
知ることになったのです…

厳しい現実と同士の裏切り

オンデーズの筆頭株主となった田中さんは
代表取締役社長に就任しました。

しかし30歳という若さで
社長となった田中さんに対する
社員たちの目は冷え切っていました…

しかもさっそく1千万の資金ショートが
迫ってきている状況で、
出だしから銀行交渉や、
経営回復のための施策を
行なうことが求められました。

この時田中さんが思い描いていたのは、
オンデーズをメガネ界のZARAにすること。

ZARAはもともと安さを武器に
店舗を増やしていたが、
あるときから方向転換し、
値段を変えずに品質や
ファッション性を追求し始めていました。

その結果「低価格なのにお洒落で品質が良い」
というイメージづくりに成功。

アパレル業界で世界一になっていました。

オンデーズもただメガネを安く売るのではなく、
ファッション性を追求していけば、
メガネ業界のリーディングカンパニー
になれるというのが田中さんの見立てでした。

「ダサいこのオンデーズを
ファストファッション アイウェアブランドにする」。

お洒落になればスタッフも
誇りを持って働けるようになるし、
お店やスタッフが生まれ変われば、
売上だってすぐに回復する
という目論見でした。

だが現実はそう甘くなく…

最初から資金繰りに苦しみ、
社員たちと対立。

思い切って立ち上げた
新コンセプトの店舗も大失敗…

商品部の改革が順調に進んだ事が唯一の救いで、
すぐにショートすることはなかったものの、
今度は新たに買収した
雑貨販売のチェーン店「ファンファン」に
足を引っ張られてしまう。

ファンファン前社長と田中さんは
“同士”として信頼しあった仲と思っていたのに、
結果社内政治で裏切られてしまったのです…

かろうじてファンファンの売却先を見つけ、
なんとかオンデーズは救われたものの、
結果高すぎる授業料を
支払うことになってしまったのでした…

オンデーズの知名度を上げるための取り組み

ようやくフランチャイズ事業が軌道に乗り、
危機的状況から脱する道筋が
少しずつ見えてきたオンデーズ。

しかし10億円前後の繰越損失と
債務超過を抱えていたため、
銀行からの融資は
まったくあてにならず…

自分たちだけで何とか資金を生み出し
「成長」を実現しなければ
ならない状態になりました。

そうした状況のなか、
田中が問題意識を抱いたのは
「決定的な知名度不足」。

当時オンデーズはすでに
「スリープライスメガネ」
と呼ばれるカテゴリーの
チェーン店では業界3位の
位置につけていたんです。

しかし出店立地が
地方の小・中規模の商業施設に偏っていて、
都市部や大型商業施設における
知名度はほぼない状態。

消費者にとっては「知らない=不安」。

メガネ業界では安心や信用が
大きく売上を左右することから、
田中さんは知名度向上のための策を出す事に。

そこで田中が打ち出したのが「全品半額」

オープンセールで店内商品を
全品半額にすれば、
かならず話題に上がるに違いない
と考えたのです!!

各部署の幹部からは猛反対されたが、
実際にやってみると
大きな効果があらわれました!

「パークプレイス大分店」の
オープン時には朝7時半から
行列ができたほどだったそう。

全品半額セールは、オンデーズにとって
貴重な「現金収入の機会」を生み出し、
その後マスコミからの取材も増えました。

見事に知名度アップを図る事ができた
オンデーズですが、一方で田中さんは
こうした小手先のセールに
いつまでも頼るわけにはいかない
と危機感を募らしていたのでした…

業界1位との差

ある日、メガネ業界を震撼させる
「とんでもない発表」がありました。

スリープライスメガネ業界で
第1位の「ジェイムズ」が
「薄型レンズの追加料金を無料にする」
と発表したのです!

もともとメガネ業界は、
薄型レンズの追加料金で
高い利益率を確保していたのですがら
ジェイムズはそれを放棄。

代わりに圧倒的な販売数量で
戦うことを決意したのでした。

田中さん自身も、薄型レンズの追加料金無料は
理想的な施策だと感じていました。

しかしこのときのオンデーズの財務状況を考えると、
とてもではないが追随するのは不可能。

結果この施策でジェイムズとオンデーズとの差は
ますます広がってしまいました。

自分たちが客に与えるものとは?

さらに追い打ちをかけるようにして、
東日本大震災が起きます。

売上が上がらなくなり、またも資金ショートが目前に迫っていました。

社員に給料を支払うため、銀行への返済をすべて止め、
取引先への支払いをできるかぎり遅らせることで、
なんとか急場をしのいだことも…

こんなオンデーズの状況下で、
被災地の支援をする余裕はまったくなかったように思えていました。

しかしある社員から
「メガネやコンタクトがなくて困っている人が被災地には大勢いるはずだから、
それを解決してあげませんか?」と言われたことで
田中さんはハッとさせられます。

被害を受けた仙台地区の店舗は
いつ再開できるのかわからない状態。

それならばそこにあるメガネをすべて無料で配ろう
と考え、「避難所での出張メガネ店」がスタートしたのです。

支援活動をしていくなかで、
とくに田中さんの記憶に残っているエピソードがある。

暗くなる前に撤収しようとしていた田中さんたちのもとに、
一人のおばあさんが差し入れをたくさん抱えてやってきました。

「お気持ちだけで十分ですから」と固辞したものの、
「どうしても受け取って欲しい」
とおばあさんも譲ろうとしない。

話を聞くとおばあさんは目がほとんど見えず、
生存者が書かれている掲示板が
それまで読めなかった。

誰かに読んでもらうことも考えたが、
どんな現実であれ自分の目で確かめたかった。

そしてメガネを作ってもらえて、
ようやく家族の無事を確認できたのだと教えてくれたのです。

この経験を通じて田中さんたちは

「自分たちは視力という、人々の生活に欠かせない、
とても重要なものを扱う仕事をしているのだ」

とメガネへの認識を改めるきっかけとなりました。

オンデーズがお客様に本当に売らなければいけないのは、
安いメガネでもオシャレなメガネでもなく、
「メガネをかけて見えるようになった素晴らしい世界」
なのだと考えるようになったのです。

オンデーズの成長が起動に乗り始める

ボランティア活動から戻ると、
田中さんは「技能研修室」という部署を本格的に立ち上げ、
社員研修の内容からプロセスまで根本的に見直すことを決めました。

各店でバラバラだった視力測定や加工方法を統一し、
独自の社内制度も作り、全社員のメガネ屋としてのスキルの
「見える化」を徹底したのです。

また従来のスリープライス制度を廃止し、
ディスカウント路線からの切り替えを図るとともに、
複数のハウスブランドを立ち上げました。

価格ではなくデザインや目的別にカテゴリーを分けて展示したほうが、
お客様の好みや目的に合ったものを、
よりスムーズに選んでもらえるという考え方に変わった
のです。

理想の製品づくりは難航したものの、
最終的には「AIR Ultem」や「ジョン・デリンジャー」、
「バタフライ・エフェクト」など、
自信をもっておすすめできるブランドが完成。

するとそれまで他社ブランドのメガネをかけていたオンデーズの店員も、
我先にとオンデーズの商品を買い求めるようになったのです!

それを見た田中さんはようやく、
このハウスブランド戦略の成功を確信します。

さらにジェイムズから2年遅れるかたちとなりましたが、
全店舗での薄型レンズの追加料金なしも決行。

これには一部店舗から苦情も相次いだそうですが、
結果は大成功!!

前年対比で売上120%超えは当たり前で、
180%アップを叩き出す店舗も続出したほどでした。

「シンプル プライス」というブランドコンセプトを
しっかり打ち出したオンデーズはようやく成長軌道へと
乗っていったのでした!

資金ショートで黒字倒産の危機

破竹の快進撃を続けるオンデーズだったが、
資金ショートという思わぬ壁にぶつかることになります。

売上自体は急速に伸びていたものの、
もともと10億超の債務を抱えていたため、
銀行との取引は相変わらず厳しい状況が続いていました。

しかも仕入れ金額が極端に増加し、
既存店の売上増加にともなう販管費も急増。

繰り延べしていた支払いも重なり、
結果的に3億円以上の資金ショートが目の前に…。

支払期限まであと3カ月とほとんど猶予がない状態で、
このままでは黒字倒産になりかねない。

増資の引き受け先を探すと、
複数の経営者や投資家、ベンチャーキャピタルが
強い興味を示してくれますが
支援してくれるところはひとつもない…

そんなとき、突如知り合いの経営者から一本の電話が。

聞けば全国のショッピングモールに多数の店舗を展開している
某有名上場企業社長が、オンデーズの支援をしたいと
言ってくれているといいます。

藁にもすがる思いで、その社長との面談に臨んだのですが、
目の前にいたのは典型的な金の亡者でした…

「3億入れてオンデーズは助けてやるから、
お前はさっさと出て行け」
と言われ田中さんは絶望。

たしかにこの提案を受ければ、
オンデーズは倒産しなくてすむことになります。

しかし「上手く再生できなければ、どこか他へ転売して儲ければいい」
とまで言い放つ相手に、せっかくここまで育て上げた
オンデーズを手放していいものなのか、
田中さんは涙を流しました。

救いの手とオンデーズの復活

田中さんは
「ここでジタバタと見苦しく足掻いて、
オンデーズを危機的な状況に晒し、
みんなを大変な目に遭わせるよりも、
さっさとあの上場企業にオンデーズを託してもう終わりにしよう」。

悩み抜いた末こう結論を出しました。

そして例の社長の秘書に
「ご提案頂いた内容で進めさせて頂きたいと思います」と連絡。

まるでそういう返事がくると事前にわかっていたように、
直ぐに返信があり、交渉成立と思いきや…

それに待ったをかけた人物が現れたのです。

それは「藤田光学」の藤田社長でした。

藤田光学は老舗フレームメーカーで、
数年前から多少の付き合いはあったもののそれだけの関係。

だが田中さんの話を聞いた藤田社長は
すぐに1億円の出資を約束してくれたのです。

経営者としての田中さんの実力を
評価してのことでした。

またその後も資金繰りに苦しみ「どうしてもあと1億円足りない」となったときも、
追加で1億円を増資してくれたのです。

さらに商品製造に関しても全面的に
バックアップしてくれるという、
まさに完璧というしかない条件を提示して
協力してくれたのでした。

こうしてオンデーズは最大の危機を奇跡的に乗り切り、
死の淵から生還することができました。

後日例の社長から電話が…

「今更、俺との話を反故にするなんて、わかってんだろうな?
お前も良い度胸しているな。もう二度と連絡してくるなよ」

それに対して田中さんは
「大丈夫です。自分も結構、良い度胸しているつもりなんで」
と答えて電話を切ったのでした。

オンデーズと田中修治の劇的なストーリーにドキドキ

いかがでしたか。

「オンデーズ」と社長の田中修治さんの
紆余曲折ありの実話「破天荒フェニックス」の
あらすじ(日本編)をまとめました。

30億の負債を抱えたオンデーズを
再建する事は、田中さんにとって
容易なことではありませんでした。

裏切りやライバルとの戦い等様々なストーリーが
ありましたが、壮絶な環境でも屈せず
再建に向けて取り組んできた田中修治さん。

結果としてオンデーズは世界でも人気の
メガネメーカーとなりました。

このあとの「破天荒フェニックス」では
世界進出も果たし、成功していく模様が
記載されています。

ぜひ続きも本で読んでみてほしいと思います!!

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