壮絶な生い立ちまとめ!沢村一樹は父親の蒸発や借金で幼少期苦労人だった

意外だと思う方も多いかもしれませんが、「沢村一樹」というお名前は芸名で本名は「野村耕造」さんといいます。

1967年7月10日に鹿児島で生まれた沢村さんは、父と母、妹の4人家族という環境の元で暮らしていました。

サービス精神旺盛でムードメーカー的なキャラクターをお持ちの沢村さんですから、明るい家族をイメージしますよね。

でも実は、6畳と4畳半の二間で風呂なしのというアパート暮らしで、家族との関係性も思いもよらない展開を経験していました。

そんな生い立ちをまとめるとともに、テレビでは見せない沢村さんの芯の部分に迫ってみました。

沢村一樹の父親は幼少期に蒸発して借金まみれに…

https://ameblo.jp/yarukitanichan/entry-12226314891.html

実は沢村さんの父親はとてもイケメンだったようで、そのためか女性問題を起こすこともしばしばだったようです。

更に借金問題まで起こしてしまい、沢村さんが12歳のころ蒸発してしまったといいます。

その後、ご両親は正式な離婚に至り、沢村さんと妹さんは母親の元で暮らすことになりましたが、その暮らしは決して楽なものではありませんでした。

ただでさえ母子家庭で大変なうえに、父親の借金返済を肩代わりして支払っていたことで貧乏生活にも拍車がかかってしまったのです。

しかも、借金の額は2〜3000万とも言われており、母親が昼夜問わず働き詰めで必死に返済しなければならないほどの大金だったことは間違いありません。

そんな苦労を知ってか知らずか、父親は離婚後も家に来ては母親の悪口を言っていく始末でした。

まだ幼なかったとはいえ、沢村さんの心の内に父親への暗い気持ちを募らせていくことになりました。

けれど、父親も本当は悪い人ではなく、むしろ頼まれごとを断れない「ザ・いい人」

沢村さん達を苦しめることになった借金でさえも、知人の借金の保証人になってしまったことで出来てしまったものだったようです。

タラレバで言えば、もしその保証人の話さえ断っていたら、その後の沢村さんとの関係も変わっていたのかもと思ってしまいます。

何にせよ、現実的には沢村さんたちは貧しい生活を送ることとなったのです。

多大な借金を返すために働く母親

https://yononakanews.com/entame/5963/

借金の返済もしながら女手一つで子供2人を養う母親というと、お金や生活に追われて切羽詰まったような感じをイメージしてしまいます。

でも、沢村さんのお母さんは強い人だったのでしょう、そんな苦境といえる状況の中でも底抜けに明るかったと言います。

それを裏付けるエピソードで、お母さんが沢村さんと妹を連れて散歩によく連れて行ってくれたときのことを話してくれていました。

3人で歩いているときに祭りばやしが聞こえてくると、「待っててね」と言って踊りにいってしまうのだそうです。

周りの人たちは浴衣を着たりオシャレをしているのに、自分だけ普段着なのも気に止めずです。

そして汗だくで戻ってくると、「お母さんが一番上手だったでしょうー⁉︎」と笑って聞いてきたりしていたといいます。

貧しくても明るい家族」というのを親子の合言葉にさせるような、美人さんで笑顔いっぱいのお母さんだったようです。

そんなお母さんは、昼間はセールス夜はスナックでと寝る時間も惜しんで働き、借金完済と子育てを成し遂げました。

しかも、そんな余裕がない状況でも年一回はオシャレして洋食屋に子ども達をつれていったりしてくれていたのだそうです。

沢村さんは、芯が強くて素敵なお母さんの背中を見て育ったというのがよく伝わってきますね。

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沢村一樹もお金がなく大学進学を諦め上京していた

https://resumedia.jp/8856.html

小さい頃からそんなお母さんを見てきた沢村さんは、費用が掛かってしまう大学への進学はもとから希望しなかったようです。

中学生のときには既に「給料を貰う仕事では養えない」と考えていて、本気で芸能界を志すことを決めたみたいなんです。

まだ子どもの決心だったとはいえその強さは、現在俳優として活躍している沢村さんがいるということで分かりますね。

その後バイトで費用を貯め、そのお金約18万円を握りしめて20歳には俳優になるため上京したのだそうです。

ところが、上京に際して頼りにしていた友人と連絡がつかず、住むところもないという突然のトラブルに見舞われます。

普通なら不安になり出直すことも考えるのでしょうが、決意の強い沢村さんは違いました。

公園での野宿を選び、持参したバスタオル2枚を枕と布団がわりにして寝たそうです。

引き返せない状況もあったとは思いますが、自分の行動を貫いたことにも芸能界入りへの思いの信憑性を感じますね。

その後は、ライブハウスでのバイトにありつき、仕事をしながら芸能界入りのチャンスをうかがっていたと言います。

それだって、同年代は大学生生活をエンジョイしていたであろう中ですから、沢村さんが夢への勝負に出ていたというのが伝わります。

そしてそんな努力の結果、そのライブハウスのお客さんからモデル事務所を紹介してもらい、モデル活動から芸能界の道をスタートさせていったのです。

中学の時、大学は諦めて上京して芸能界入りするんだと決めた沢村さんは、ブレることなくしっかりそれを成し遂げたというわけなんです。

https://naclover.com/archives/5152

父親とは疎遠に…若くして亡くなりお墓を建てた沢村一樹

https://news.goo.ne.jp/picture/entertainment/thetv-143249.html

母親や妹と、苦労しながらもたくましく生きてきた沢村さんですが、両親の離婚で離れた父親には後悔があったと語っています。

お父さんは、離婚から6年後の57歳という若さで他界されたのですが、父親への複雑な想いから沢村さんは葬儀に参列しなかったのだそうです。

それが、後々に深い後悔の念へと変わっていったということなんです。

元々、ご両親が離婚されたのは、お父さんの女性問題や借金問題が引き金となっていました。

そのせいで仕事詰めになった母親を沢村さんは見ていましたし、貧しくても明るかった家族を知っています。

にも関わらず、離婚後もときどき顔を見せる父親は、酔っ払い母親の悪口を言っていくという始末でした。

息子として、沢村さんには色々な感情が積もっていったことでしょう。

そんな中、沢村さんが高校生のころにトドメとなるような出来事が起きます。

いつものようにふらりとやって来たお父さんが、沢村さんに「お前、進路はどうするんだ?大学は行くのか?金も掛かるだろう。」と言ってきたのです。

「おまえに言われたくない!」と胸ぐらを掴んだ沢村さんですが、父親は動じなかったといいます。

殴りたければ殴ればいいというような父親の態度に負けたと感じた沢村さんは、その一件から疎遠になったのだとか。

それを知れば、たとえ父親の葬儀でも参列したくなかった当時の沢村さんの気持ちも少なからず分かる気がします。

でも、沢村さん自身も結婚し父親となってみると、「父だけが悪かったわけではないかも」という考えに至ったようです。

同じ状況になってみて、初めて理解できることも多かったのでしょうね。

何があったにせよ、自分の父親の葬儀に参列しなかったことをとても後悔したのだそうです。

そんな時に、父親の納骨がまだ済んでいない事を知ったので、立派なお墓を建て納骨したんだそうです。

現在では、命日には墓石を新品のタオルで拭いて偲んでいるそうで、胸のつかえが取れたと語っていました。

すれ違ってしまった気持ちを、今やっと言葉にしているのかもしれませんね。

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まとめ

https://www.chunichi.co.jp/article/23637

明るくて、ちょいエロで、笑顔が素敵な二枚目俳優の沢村さんて、勝手に平穏で裕福な幼少期をイメージしてましたけどわからないものですね。

壮絶というのか、とても人間くさい生い立ちだったことが判明しました。

でも、良くも悪くもご両親の影響をたくさん受けていることが伝わってきました。

沢村さんのユニークさと、芯がブレずに厳しい芸能界を生き抜いている強さは、お母さんの頑張りをずっと見ていたからでしょうし。

色男なところは、お父さんの血筋でしょうね。

とはいえ、分かり合うことが難しい時期もあった父親との溝も、今となっては心の思い出になったようで素直に良かったと思っちゃいました。

そうやってたくさん感じ、ぶつかり、笑って、考えてきた沢村さんの演技は厚みがあって、人としても興味深いユニークさを感じるのかもしれません。

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